~写真は、鹿児島県立石橋記念館のページより~
平成17年1月30日(日)は、
メールマガジンで有名な、がんばれ社長!
の武沢信行社長と同行して鹿児島市浜町の、鹿児島県立石橋記念館を訪れまし
た。前日の、薩摩非凡会の講師として、鹿児島大学の原口泉教授とダブルキャ
ストでお招きしていたので、帰りの飛行機便までの時間を市内観光に当てまし
た。その前に昼頃から中央駅の観覧車に乗り、鹿児島市内の城山や加治屋町界
隈や上町方面の町並み等を上空から見学し、蛇行しながら流れる甲突川の流れ
を感慨深く眺めました。
天文館から中央駅へと電車通りを繋ぐ高見橋と、加治屋町から高麗町へと繋ぐ
新しくなった高麗橋との間で、わずか1キロメートル程度の弧状の河畔地帯の
薩摩藩下級武士たちの屋敷群の中から、明治維新で活躍した日本の偉人達を数
多く輩出した事に付いて、武沢社長も驚きを感じながら見入っていました。
観覧車を降りると、すぐさまその加治屋町に点在する偉人達の史跡を歩き回り
ました。西郷・大久保・大山・村田・東郷・・・。1件1件歩く事で、点在し
ていた歴史の記憶が線になって結びついて来ました。
私の車で移動し、石橋記念公園に付いたときは、3時30分を回っていたので
時間はそれほど残っていませんでしたが、移設された西田橋を渡り西田橋御門
をくぐり、高麗橋・玉江橋と渡りました。最後に石橋記念館に入り、当時の資
料や、石切場の模型・石橋工事現場の模型などを見学しました。
江戸時代の末期に、薩摩藩の城下整備の為に美しいアーチ石橋が5箇所作られ
川上から、玉江橋・新上橋・西田橋・高麗橋・武之橋という順番で並んでいま
した。アーチは、上から4橋が4連アーチ、武之橋だけは5連アーチの大きな
ものでした。建造年代は、1845年~1849年に掛けて造られました。
これらは、薩摩5石橋として日本を代表する石橋群で、150年以上も現役で
利用されて来ましたが、平成5年の8・6大水害で新上橋と武之橋が破損流出
し、防災の為の河川改修工事で、5石橋の撤廃新設が検討されたのですが、石
橋保存運動が持ち上がり、現在の石橋記念公園への移設が決定しました。現在
移設復旧されたのは、玉江橋・西田橋・高麗橋の3橋になったのです。
石橋を渡りながら考えました。移設されたとはいえ、石橋の一つ一つの巨大な
石は、幕末の志士達の足跡が刻み込まれ、市民の生活の轍が刻み込まれている
ような気がしました。石の欄干に触れる事で、橋を造った多くの人や、橋を行
き来した人たちの声が聞こえて来るようでした・・・。その日も、目の前にそ
びえる桜島が人と石橋の歴史を包み込み、雄大な姿を見せていました。
「鹿児島県立石橋記念館」
http://www.seika-spc.co.jp/ishi/index.html
問い合わせ先:鹿児島市浜町1-3/TEL099-248-6661
e-mail:ishi-master@seika-spc.co.jp