2011年02月07日
再、「一本の柱」を読み返してみました。
母が亡くなって今日で11日が過ぎましたが、なんだか随分日にちが経ったような気がします。
自宅の神棚の前に飾った花も段々しおれてきて、今日は大きな花かごを片付けて、花瓶に移し変えました。神棚の有る床の間の部屋が私の仕事部屋で、事務所でもあり接客もここで行なうので、いつまでも大きな祭壇を置いておくわけにも行かないからです。
一寸母に申し訳ない気がしましたが、床の間の壁に飾った黒縁の額に入った母の写真は、優しい満面の笑みでほほえんでいます。
ふと、私が以前書いていた短編小生「一本の柱」を思い出しました。

↑上はWEB上の写真を加工したイメージです。
□短編小説「一本の柱」 □ さだひろし
その家には、思い出深い一本の柱が有った。幸夫が小学校から帰って
くると幸夫の母キミは、台所にあった小刀とまな板を取り出して、すぐ
にでも遊びに行こうとする幸夫を呼び止めて、その柱の前に立たせた。
その日は、幸夫の8歳の誕生日だったので、毎年伸びていく我が子の成
長を柱に刻み込もうとしていた。まな板を幸夫の頭の上に載せて、柱に
垂直に当てると、2センチメートルほど下にも一年前のしるしが残って
いた。古びた角が所々欠けて手垢で汚れた柱に刻まれたしるしの下のほ
うから上5番目に刻み始めた。
幸夫は、キミが小刀でしるしを付け始めると、「やまちゃんちで遊んで
くるね。」と言って勝手口から飛び出していった。勝手口は、土間にか
まどを置いただけの台所の横に、黒い板張りの引き戸が立てられていて、
がたがたと開けたかと思うと、幸夫の声だけが残っていた。
中腰から立ち上がり、ふと家の中を見渡すと、日に焼けた六帖の畳間の
先には、板張りの縁側に小積みになった洗濯物が散らばっている。先ほ
どの夕立で、あわてて庭先から取り込んだばかりだったことを思い出し
て、生乾きのジュバンやズボンやシャツを、縁側の物干し竿に掛け直し
ていった。
6帖間の隣りには、四帖半の仏間が有り、その横には6帖の寝室が有る。
薄暗いローカを挟んで、北側に浴室と便所が並んでいる。キミは、その
部屋部屋を軽く片付けてから、夫の武夫が帰るまでにと晩飯の支度を急
いでいた。
「ただいま。」と、幸夫が帰ってきた。先ほど刻んだ柱の傷を見ながら
頭の上に手を当てて、「もう少し上じゃない?」と言いながら無邪気に
笑った。「大きくなったね。」とキミが答えた。
武夫が帰る頃は、すっかり夜の帳が降り、天井から垂れ下がった傘付き
の裸電球が、家族三人の食卓の笑顔を照らした。幸夫の誕生日は、武夫
が海から捕ってきた鯛の魚と、柱の傷で祝われた。
「だんだん魚も捕れなくなってきたので、都会で仕事を探そうと思うん
だ。」武夫が神妙な顔で話し始めた。「仕事が見つかったら、引っ越す
事にしようか。」キミは複雑な気持ちを飲み込んで「そうですね。」と
答えた。「来年の今ごろは、ここには住んでいないかも知れないね。」
と武夫の言葉を聞いた幸夫は、柱の傷を眺めながら不安な気持ちを言葉
には出せなかった。
それから10年の月日が流れた。幸夫が高校3年生の夏休みに、都会
から遠く離れた故郷の村を友達2人を連れ立って尋ねてみた。子供の頃
住んでいた懐かしい風景はそのまま残っていて、かつて住んでいた家も
そのまま残っていた。ただ、思いのほかその頃より小さく感じるその家
の横には、新しい立派な住宅が建てられていて、表札も別の人の名前に
変わっていた。
物置となったかつての家の中を、新しい家の主に頼んで見せてもらった。
あの黒い引き戸の勝手口から入って、台所の土間は農機具の整理棚に成
っている。腰高の6帖間に上がってみると、ほこり被った古い箪笥や家
具の奥のほうに、あの一本の柱はそのまま立っていた。
五番目まで刻まれた、古い柱の傷を中腰で眺めていると、去年の夏に病
気で亡くなった母キミが今にもそこに居るようで、思わず涙があふれ出
てきた。しばらくの時間が過ぎ去った後で、あの勝手口から「行ってき
ます。」とつぶやきながら帰りの道を歩いていた。
一本の柱がその後どうなったのかは、幸夫には今と成ってはもう分から
ないが、あの柱が支えていた小さな家の思い出は、何時までも心の中に
残っていた。
それから20年が過ぎ、今年の年末には幸夫の家族5人の新築の家が
完成する。真新しい大黒柱が家の中央に建てられて、頑丈な土台とはり
を支えている。棟上の日を迎えた幸夫の2人の幼い子供達が、柱の前で
背比べを始めていた。幸夫は、小さくなった父武夫の肩越しにその光景
を眺めながら、「お母さん有難う。」とつぶやいた。
その後この家の一本の柱には、いくつもの思い出が刻まれる事だろう。
短編小説「一本の柱」 著作:さだひろし
そして20年位前に、その頃まだ元気だった父と二人で、磯公園のロープウェイの架橋の前で仲良く撮っていた記念写真を、床の間の鴨居の上に飾りました。床の間でもあり私の仕事部屋であるこの部屋は、17年ぶりに一緒になった父母の笑顔で包まれました。
自宅の神棚の前に飾った花も段々しおれてきて、今日は大きな花かごを片付けて、花瓶に移し変えました。神棚の有る床の間の部屋が私の仕事部屋で、事務所でもあり接客もここで行なうので、いつまでも大きな祭壇を置いておくわけにも行かないからです。
一寸母に申し訳ない気がしましたが、床の間の壁に飾った黒縁の額に入った母の写真は、優しい満面の笑みでほほえんでいます。
ふと、私が以前書いていた短編小生「一本の柱」を思い出しました。

↑上はWEB上の写真を加工したイメージです。
□短編小説「一本の柱」 □ さだひろし
その家には、思い出深い一本の柱が有った。幸夫が小学校から帰って
くると幸夫の母キミは、台所にあった小刀とまな板を取り出して、すぐ
にでも遊びに行こうとする幸夫を呼び止めて、その柱の前に立たせた。
その日は、幸夫の8歳の誕生日だったので、毎年伸びていく我が子の成
長を柱に刻み込もうとしていた。まな板を幸夫の頭の上に載せて、柱に
垂直に当てると、2センチメートルほど下にも一年前のしるしが残って
いた。古びた角が所々欠けて手垢で汚れた柱に刻まれたしるしの下のほ
うから上5番目に刻み始めた。
幸夫は、キミが小刀でしるしを付け始めると、「やまちゃんちで遊んで
くるね。」と言って勝手口から飛び出していった。勝手口は、土間にか
まどを置いただけの台所の横に、黒い板張りの引き戸が立てられていて、
がたがたと開けたかと思うと、幸夫の声だけが残っていた。
中腰から立ち上がり、ふと家の中を見渡すと、日に焼けた六帖の畳間の
先には、板張りの縁側に小積みになった洗濯物が散らばっている。先ほ
どの夕立で、あわてて庭先から取り込んだばかりだったことを思い出し
て、生乾きのジュバンやズボンやシャツを、縁側の物干し竿に掛け直し
ていった。
6帖間の隣りには、四帖半の仏間が有り、その横には6帖の寝室が有る。
薄暗いローカを挟んで、北側に浴室と便所が並んでいる。キミは、その
部屋部屋を軽く片付けてから、夫の武夫が帰るまでにと晩飯の支度を急
いでいた。
「ただいま。」と、幸夫が帰ってきた。先ほど刻んだ柱の傷を見ながら
頭の上に手を当てて、「もう少し上じゃない?」と言いながら無邪気に
笑った。「大きくなったね。」とキミが答えた。
武夫が帰る頃は、すっかり夜の帳が降り、天井から垂れ下がった傘付き
の裸電球が、家族三人の食卓の笑顔を照らした。幸夫の誕生日は、武夫
が海から捕ってきた鯛の魚と、柱の傷で祝われた。
「だんだん魚も捕れなくなってきたので、都会で仕事を探そうと思うん
だ。」武夫が神妙な顔で話し始めた。「仕事が見つかったら、引っ越す
事にしようか。」キミは複雑な気持ちを飲み込んで「そうですね。」と
答えた。「来年の今ごろは、ここには住んでいないかも知れないね。」
と武夫の言葉を聞いた幸夫は、柱の傷を眺めながら不安な気持ちを言葉
には出せなかった。
それから10年の月日が流れた。幸夫が高校3年生の夏休みに、都会
から遠く離れた故郷の村を友達2人を連れ立って尋ねてみた。子供の頃
住んでいた懐かしい風景はそのまま残っていて、かつて住んでいた家も
そのまま残っていた。ただ、思いのほかその頃より小さく感じるその家
の横には、新しい立派な住宅が建てられていて、表札も別の人の名前に
変わっていた。
物置となったかつての家の中を、新しい家の主に頼んで見せてもらった。
あの黒い引き戸の勝手口から入って、台所の土間は農機具の整理棚に成
っている。腰高の6帖間に上がってみると、ほこり被った古い箪笥や家
具の奥のほうに、あの一本の柱はそのまま立っていた。
五番目まで刻まれた、古い柱の傷を中腰で眺めていると、去年の夏に病
気で亡くなった母キミが今にもそこに居るようで、思わず涙があふれ出
てきた。しばらくの時間が過ぎ去った後で、あの勝手口から「行ってき
ます。」とつぶやきながら帰りの道を歩いていた。
一本の柱がその後どうなったのかは、幸夫には今と成ってはもう分から
ないが、あの柱が支えていた小さな家の思い出は、何時までも心の中に
残っていた。
それから20年が過ぎ、今年の年末には幸夫の家族5人の新築の家が
完成する。真新しい大黒柱が家の中央に建てられて、頑丈な土台とはり
を支えている。棟上の日を迎えた幸夫の2人の幼い子供達が、柱の前で
背比べを始めていた。幸夫は、小さくなった父武夫の肩越しにその光景
を眺めながら、「お母さん有難う。」とつぶやいた。
その後この家の一本の柱には、いくつもの思い出が刻まれる事だろう。
短編小説「一本の柱」 著作:さだひろし
そして20年位前に、その頃まだ元気だった父と二人で、磯公園のロープウェイの架橋の前で仲良く撮っていた記念写真を、床の間の鴨居の上に飾りました。床の間でもあり私の仕事部屋であるこの部屋は、17年ぶりに一緒になった父母の笑顔で包まれました。