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Posted by チェスト at

2009年07月23日

島津斉彬公

郷里の神主に成る為に勉強している義兄が、7月始めから我が家に滞在して居て牟礼岡や寺山公園を散歩しながら書いた文章に大変共感したので掲載します。

「島津斉彬公」

 斉彬公の偉業は誰もが知る所だが、富国強兵論を唱え実行に移さねばならなかったその時代背景を思うのです。諸外国と肩を並べるだけの軍事力を持つ事でこの薩摩をそして日本を諸外国の植民地化から守ろうとしたのでしょう。藩主としてわずか七年間の間ではあったが、彼のやった仕事はまさに歴史的大革命だったのです。彼の思いの源流となったのは、やはり人を思いやる優しい心がこの偉業をやり遂げるエネルギーになった様に思われます。

島津家の七百年にも及ぶ薩摩藩の統治からも伺えます。
同じ家系がこれほど永く民衆に支持され続けられたことは、世界史を見ても他に例が無いのでは?
昨年から私は直階の講習を受けさせて貰っていますが、照国神社の回廊に展示してある資料を何十回となく見させてもらいました。

その中から見えてきたものは、島津家の教育基本について何か神道の精神と重なるような気がします。今回の講習に私は妹夫婦の家から通っています。鹿児島市牟礼岡の山頂には、八基の風車がクリーンエネルギーを作り出しています。島津家の人々が色々な方面で頑張っている姿は、私たちにとっても嬉しい事です。最近朝の散歩で、寺山公園にも行ってその絶景に息を飲む思いがしました。
斉彬公が作らせた炭焼窯の跡地付近を西郷さんも農地として開墾したそうですが、この史跡の案内板に良い詩が有り、私の胸中と重なるところが有ったのでここに書いてみます。

登攀する藩州吉野山 雲晴れ風静かにして天関を開く
茫々たる下界杏杓小なり 桜岳錦江指顧の間
吉野の名我が耳を驚かす 聯想する延元蒙塵の史
姦臣柄を執って国家を危くす 国家尤要す賢良の士
知勇を推倒す一世の雄 心胸を開拓す万古の忠
南洲龍川今何れの処で 寒煙蒼々ニ翁を憶う
一朝虎嘯すれば天地を動かす 其の志行われずんば退いて器を養う
英雄の行蔵素より斯くの如し 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
此の日感懐言うべからず 樹下薪を焚いて清樽を開く
風景佳絶感盡くる無し 山頂天を祭りて心魂を滌う
               (吉野寺山之賦・岩崎行親)


斉彬公の死後もかれの思いを引き継いだ薩摩の偉人達。
そして今も其の血は鹿児島の若者の中にきっと流れている。

               平成二十一年七月十八日
                      権正階 濵山 力


【夏季休業のお知らせ】

明日から8月の中旬のお盆明けまで、所用と旅行の為に夏季休業いたします。
従ってこのブログも更新が中断しますが、一ヵ月後には再開する予定です。
皆さん、それまでごきげんよう。 牟礼岡の風  

Posted by murekaze at 11:43鹿児島の歴史

2009年03月28日

島津義弘公が開いた加治木町の「御里窯跡」が有りました。


加治木町仮屋町には、戦国時代最後の関ヶ原の合戦で、徳川家康率いる東軍の敵中突破を敢行した事で有名な、島津義弘が開いた加治木屋形跡・西の丸が、丁度現在の 柁城小学校に成りますがそのすぐ北側に「つんぼがした(壷頭?)」と呼ばれる地名の谷が有り、そこが御里窯跡だと言う看板が立っていました。豊臣秀吉が、大陸にも支配の手を伸ばそう起こした戦争が「文禄・慶長の役」です。

そのときの朝鮮出兵に携わった島津義弘が、多くの朝鮮人の陶工を連れ帰り(今で言う拉致とは根本的に違い、その頃の朝鮮はモンゴル大陸国の「明国」と全国統一が終わったばかりの「日本」との、両国からの武力侵略や度重なる戦争により、朝鮮国内の治安や経済が悪化したために、陶工や学者等が国外脱出に参加したものだと考えられます。)始めは姶良の帖佐に窯を構えた後、加治木屋形完成と同時にこの場所に移転したのでした。これが薩摩焼きの原点らしい。

看板には加治木町教育委員会の説明文がありました。
(↓クリックすると拡大します。)
 

(地図)


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Posted by murekaze at 12:46鹿児島の歴史

2008年11月20日

加世田の竹田神社


今日は物件調査で、南さつま市加世田武田に行きました。丁度竹田神社の近くだったので、神社の境内を散歩してみました。

  
お賽銭を5円投げ込んで、パチパチと拍手を打ってお参りをしました。それから竹田神社の立派な大楠を見て、いにしえの道を通り国道に出ました。天気はまづまづ良かったのですが、北風の寒い日で、境内では人っ子一人会いませんでした。それにしても地名は武田ですが神社の名前は竹田神社なんですね。
それから、竹田神社に祭られている島津忠良は、あの関ヶ原の合戦(西暦1600年)の中央突破で有名な、島津義弘の祖父に当るんですね。帰ってから検索エンジンで調べていて解りました。また、竹田神社は「水車からくり」でも歴史のある有名な神社でした。
<参考> 南日本新聞エリアニュース > 地域 ~加世田・竹田神社「水車からくり」完成、23日披露~
 ⇒ http://373news.com/modules/pickup/area.php?areaid=7&storyid=11789

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Posted by murekaze at 20:10鹿児島の歴史

2008年10月05日

鹿児島市の西郷さんの銅像とマント


昨日は、鹿児島市城山町の西郷隆盛の銅像のすぐ横にお店が有る、大島紬の(株)夢創庵を尋ねてみました。
西郷さんの生誕180年にあたる昨年12月7日に、西郷さんの銅像建立70年の古希祝いとして、大島紬で作ったマントを着せようと言う運動をされた、能勢さんにお会いする為でした。当日は草の根世直し隊の岩井さんや西さんと連れ立って訪問しました。
能勢さんには快く面会に応じていただき、西郷さんに対する尊敬の思いや、現代の私たちが西郷さんや当時の偉人から学ぶべき篤い志や人への優しさや厳しさについて熱く語られました。

去年の計画については、西郷さんの銅像の管理者である鹿児島市からは許可が下りずに、残念ながらマント姿の西郷さんの銅像は見ることが出来ませんでしたが、終戦時に織られたという年代物を含む大島紬の反物13反を惜しみなく使った巨大マントは、紛れも無く残っているそうです。600人を超えるボランティアの手を借りて4ヶ月の時間を掛けて作られたと言いますから、そのまま話だけで終わらせるには勿体無い様な気がします。

 高さ5m↑   高さ3.5m↑
たとえ前例の無い事では有っても、新しい未来に向けての発想や仕組みを生出す事は、誰かが始めて誰かが賛同し沢山の人の協力と後押しが重なって成就していくのだと思います。それまで誰も遣らなかった事でも能勢さんが去年手がけられた、西郷隆盛銅像の実測調査や資料文献の価値は勿論ですが、夢を持って取り組んだチャレンジ精神は共感するものが有りました。
「マント姿の西郷さんの銅像も見てみたい!」そんな沢山の方の意見も多い事から、いずれは計画が実現する事が有るような気がします。その事は、単にイベントとしての成否に冠する事だけではなくて、何か鹿児島の新しい歴史が動き出す時代の象徴に成るような気がします。

約一時間半の短時間の対談でしたが、薩摩藩の歴史と現在の鹿児島への思いなどを問答している内にあっと言う間に時間は過ぎてしまい、奥様に入れていただいた煎茶と京都のお菓子を美味しく頂いたところで、一期一会の時間が終わりました。
能勢様、奥様、貴重な時間を有難うございました。 (牟礼岡の風)

参考:http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200711240249.html (asahi.com 2007年11月25日)

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Posted by murekaze at 15:52鹿児島の歴史

2008年09月27日

山田の凱旋門を訪問しました


先日は、姶良町の山田に物件を見に行ったついでに、山田公民館(旧役場)の裏にある「山田の凱旋門」を始めて見てみました。「山田の凱旋門」というと、明治時代の日露戦争の凱旋を記念して建てられたものだということです。
全国で幾つも建てられた凱旋門の内、現存するのは2箇所だけで、その一つがここ鹿児島県姶良郡姶良町山田の「山田の凱旋門」だということです。詳しい説明は検索エンジンで検索すれば、沢山のブログの記述が見つかります。


凱旋門をくぐると庭と駐車場になっていて、正面に階段が有ります。
階段の上には1200柱の英霊が眠っているそうですが、その日は予定が詰まっていた為に上には昇らずに一回りして引き返しました。又時間が有る時にゆっくりと見てみたいと思います。

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Posted by murekaze at 09:20鹿児島の歴史

2007年10月19日

「上野原縄文の森」を案内しました。


今日は神戸から遊びに来た姪孫一行を連れて、「上野原縄文の森」を観光案内しました。
  


2007年10月19日午後3:00頃撮影
霧島市国分上之段の「上野原縄文の森」の展示館にある模型です。縄文人の生活が模型で再現されています。

2007年09月06日錦江湾を望む絶景「上野原縄文の森」より
この場所には現代からおよそ9,500年以前の縄文時代の古くから、人々の定住する村が形成されていたそうで、国分平野や錦江湾が見渡せるこの高台からの絶景は、はるか昔の人々が天空に思いを馳せて、神々に祈りを捧げる場所にももってこいだったろうと推察されるほどに素晴らしいものです。南端の展望台からも写真を撮ってみました。~

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Posted by murekaze at 23:58鹿児島の歴史

2007年09月06日

錦江湾を望む絶景「上野原縄文の森」


今日は、霧島の高千穂温泉方面に別荘地の取材に行きましたが、帰りには国分上之段の「上野原縄文の森」に立ち寄ってみました。この場所には現代からおよそ9,500年以前の縄文時代の古くから、人々の定住する村が形成されていたそうで、国分平野や錦江湾が見渡せるこの高台からの絶景は、はるか昔の人々が天空に思いを馳せて、神々に祈りを捧げる場所にももってこいだったろうと推察されるほどに素晴らしいものです。南端の展望台からも写真を撮ってみました。

   
国分の上小川や敷根方面の国道から、上之段の岡の上に見えている白い建物は、実はその上の展望台だったんだと始めて気付きました。

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Posted by murekaze at 17:59鹿児島の歴史

2007年06月07日

鹿児島市本城町宇都谷「桐野利秋」ゆかりの土地


(桐野利明が、佐賀の乱の落人をかくまった洞窟後地)

6月4日は、家内と二人で霧島方面から蒲生方面を回って、不動産の売り物件を見て回りながら、途中少し道草をしてみました。
二年前に一度取材に訪れた事の有る鹿児島市本城町宇都谷にある、「桐野利明」ゆかりの土地です。
桐野利明は幕末の明治維新に貢献し、西南の役では西郷隆盛を師事し、城山にて別府晋介の介錯による西郷の最後を、村田新八、逸見十郎太らと共に見送った後、1人で官軍の銃弾に向かって突き進み討ち死にしたそうです。 (西南戦争解説)


桐野利明記念碑の入り口には、住む人が居なくなった一軒の廃屋がひっそりと佇んで居ました。

  
鹿児島市の教育委員会が立てた説明看板を読んだ後に、しばらく付近を散策してみました。
桐野利明開墾地の記念碑は、少し分かりにくい場所ですので地図を目印に行って見て下さい。
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=31.71637194&lon=130.54383389&ac=46201&az=161.106

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Posted by murekaze at 09:28鹿児島の歴史

2007年05月10日

JR肥薩線・嘉例川駅




JR肥薩線・嘉例川駅
嘉例川駅(かれいがわえき)は、鹿児島県霧島市隼人町嘉例川にある、九州旅客鉄道(JR九州)肥薩線の駅です。山間の小さな駅は、1903年・明治36年から開業された古い名残の有る駅で、創業100年を越える古い建物は、現在でも明治時代の設備や雰囲気をそのまま残しています。

●待合室の木枠のガラス窓からは、プラットホームが見える。木製の手摺の付いた改札は、仕切り柵も無く自由に出入りできる。窓の上の漆喰壁に女優の竹下景子さんと、桃井かおりさんのポスターが飾ってあった。

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Posted by murekaze at 00:57鹿児島の歴史

2007年05月05日

薩摩歴史の道!東目筋「大口筋・白銀坂」


――― 歴史の道「大口筋・白銀坂」―――
 白銀坂は、吉田町(現在は鹿児島市)牟礼ヶ岡から姶良町脇元までの石畳の残る旧街道です。
この坂のある山並みは、古代に於ける薩摩国(吉田町側)と大隅国(姶良町側)の国境でした。又、戦国時代には、姶良地方の領有をめぐって島津貴久や義弘などの武将たちがこの坂に砦を構えたといわれています。

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Posted by murekaze at 22:01鹿児島の歴史

2007年04月08日

霧島市の国分高等学校前の桜並木道の桜


霧島市国分中央2丁目の国分高校前を車で通ると、桜並木の桜が満開でした。

国分高校の隣は国分小学校があり、舞鶴城跡として有名です。舞鶴城は1600年頃、島津義久が居城とした城で、平時は平城である舞鶴城を拠点に政治の中心とし、戦時には背後にそびえる城山を山城として戦いに備えたそうです。

丁度、鹿児島の鶴丸城と背後の城山と同じような、地形と位置関係を持った城と城山である事に気が付きます。関ヶ原の合戦の時、敵軍中央突破を慣行した島津義弘は義久の弟ですがどちらかと言うと義弘の方が有名ですね。中央へと打って出た次男坊義弘と対照的に、長男義久は国を守る事に城を固め城の石垣を積み上げたそうです。その頃の薩摩も、戦国時代の習いの通り地元を治めることでも一時の油断も出来ないような時代だったのでしょう。

今日は並木道に桜吹雪が舞い散る中を、5歳と2歳くらいの女の子を連れた一組の母子がのんびりと歩いていました。桜色の子供たちの頬の色が、桜の花びらともみまがうばかりでした・・・。

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Posted by murekaze at 22:27鹿児島の歴史

2007年02月01日

西郷さんの寺山開墾地跡


1月30日は吉野方面の売り物件写真を撮るついでに、寺山自然遊歩道にも立ち寄ってみました遊歩道道入り口の看板の横に、西郷隆盛寺山開墾地入り口の看板も立っていたので(ここより100m)という気軽な距離の表示に誘われて、車を止めて見に行ってみることにしました。

下の地図の<215>の文字のところに看板が立っていました。


  
車も走れる程度の広さの道で、杉の木立の林道を100m程度曲がってはいると、開墾地跡の広場が有り、小さな溜池の水源地と水道施設が有りました。右手にはさほど高くない階段が有ったので上ってみると、当時の記念の石碑が立っていました。明治政府を離れた西郷さんが、薩摩に帰ってきた後の明治8年頃の入植らしいです。時代は二年後には西南戦争へと突き進むことになるのですが、その頃の西郷さんは、そんなことは微塵も考えていなかった事と思います。  続きを読む

Posted by murekaze at 09:24鹿児島の歴史

2006年11月26日

鹿児島県立石橋記念館・石橋念館公園


~写真は、鹿児島県立石橋記念館のページより~

 平成17年1月30日(日)は、メールマガジンで有名な、がんばれ社長!
の武沢信行社長と同行して鹿児島市浜町の、鹿児島県立石橋記念館を訪れまし
た。前日の、薩摩非凡会の講師として、鹿児島大学の原口泉教授とダブルキャ
ストでお招きしていたので、帰りの飛行機便までの時間を市内観光に当てまし
た。その前に昼頃から中央駅の観覧車に乗り、鹿児島市内の城山や加治屋町界
隈や上町方面の町並み等を上空から見学し、蛇行しながら流れる甲突川の流れ
を感慨深く眺めました。

天文館から中央駅へと電車通りを繋ぐ高見橋と、加治屋町から高麗町へと繋ぐ
新しくなった高麗橋との間で、わずか1キロメートル程度の弧状の河畔地帯の
薩摩藩下級武士たちの屋敷群の中から、明治維新で活躍した日本の偉人達を数
多く輩出した事に付いて、武沢社長も驚きを感じながら見入っていました。

観覧車を降りると、すぐさまその加治屋町に点在する偉人達の史跡を歩き回り
ました。西郷・大久保・大山・村田・東郷・・・。1件1件歩く事で、点在し
ていた歴史の記憶が線になって結びついて来ました。

私の車で移動し、石橋記念公園に付いたときは、3時30分を回っていたので
時間はそれほど残っていませんでしたが、移設された西田橋を渡り西田橋御門
をくぐり、高麗橋・玉江橋と渡りました。最後に石橋記念館に入り、当時の資
料や、石切場の模型・石橋工事現場の模型などを見学しました。

江戸時代の末期に、薩摩藩の城下整備の為に美しいアーチ石橋が5箇所作られ
川上から、玉江橋・新上橋・西田橋・高麗橋・武之橋という順番で並んでいま
した。アーチは、上から4橋が4連アーチ、武之橋だけは5連アーチの大きな
ものでした。建造年代は、1845年~1849年に掛けて造られました。

これらは、薩摩5石橋として日本を代表する石橋群で、150年以上も現役で
利用されて来ましたが、平成5年の8・6大水害で新上橋と武之橋が破損流出
し、防災の為の河川改修工事で、5石橋の撤廃新設が検討されたのですが、石
橋保存運動が持ち上がり、現在の石橋記念公園への移設が決定しました。現在
移設復旧されたのは、玉江橋・西田橋・高麗橋の3橋になったのです。

石橋を渡りながら考えました。移設されたとはいえ、石橋の一つ一つの巨大な
石は、幕末の志士達の足跡が刻み込まれ、市民の生活の轍が刻み込まれている
ような気がしました。石の欄干に触れる事で、橋を造った多くの人や、橋を行
き来した人たちの声が聞こえて来るようでした・・・。その日も、目の前にそ
びえる桜島が人と石橋の歴史を包み込み、雄大な姿を見せていました。

「鹿児島県立石橋記念館」
http://www.seika-spc.co.jp/ishi/index.html

問い合わせ先:鹿児島市浜町1-3/TEL099-248-6661
       e-mail:ishi-master@seika-spc.co.jp
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Posted by murekaze at 09:41鹿児島の歴史

2006年11月17日

鹿児島の地域紹介「嘉例川駅」


●牧園町の売り物件を取材するついでに、兼ねてから気に成っていた、嘉例川駅を見に行ってみた。懐かしい木造の駅舎が、とても暖かく迎えてくれて、しばし我を忘れて見とれてしまった・・・。
そこには、100年以上の間に、たくさんの人の訪れを感じさせる、柱や壁の刷り傷やしみがいたるところに感じられるが、驚くほど静かな佇まいが似合っている。
何時もは、駅員もいない静かな駅だが、私が訪れたその日は、丁度イベントの打合せか何かで業者さんらしい人たちが数名集まって来ていた。

●鹿児島空港から霧島牧園方面に車で行くには、国道504号線を隼人姫城方面におりて、国道223号線にぶつかった交差点を左折し、天降川の渓谷沿いに223号線を北上する道と、鹿児島空港から国道504号線を栗野方面に走って、1Km程の最初の信号を右折して223号線に合流する道が有ります。後の道を選ぶと途中の山道に、嘉例川駅←の看板が有り、少し細い脇道へ左折すると300m程度で嘉例川駅に付きます。


●嘉例川駅(かれいがわえき)は、鹿児島県霧島市隼人町嘉例川にある、九州旅客鉄道(JR九州)肥薩線の駅です。山間の小さな駅は、1903年・明治36年から開業された古い名残の有る駅で、創業100年を越える古い建物は、現在でも明治時代の設備や雰囲気をそのまま残しています。駅舎は旧隼人町が買い取り、地元のボランティアや国鉄OBなどの手により整備されています。

続きを読む・・・⇒ http://sanshin-home.jp/sanshin/kareigawa-eki.htm

JR 嘉例川駅(鹿児島県霧島市隼人町嘉例川) 地図      □平成18年6月22日  さだひろし
  

Posted by murekaze at 11:26鹿児島の歴史

2006年11月12日

鹿児島・薩摩の歴史の道!東目筋 「大口筋・白銀坂」


●平成18年5月4日、ゴールデンウイークの真中でもあり、早朝から清々しい晴天でだったので、兼ねてから念願だった白銀坂の散策を思いついた。家内に一緒に歩いてみないか?と誘うと、すぐさま承知の返事が返ってきたので、お昼におにぎり弁当でも食えるような時間に出発する事にした。

 午前10:00時、車で白銀坂入口まで行ってそこから歩く事にした。私の自宅は吉野から続く滝之神隼人線の名残が残っている牟礼岡の麓に有る牟礼岡団地に有るので、白銀坂入口までは歩いても15分程度と近いのですが、最近は少し運動不足でも有るのであまり無理をしないようにと、入口までは車で向かう事にした。

 牟礼岡自然遊歩道入口の登山道入口がある、島津の森付近は、牟礼岡遊歩道を上るために集まったハイカー達の車が、何台も路肩に停まっていたので避けながら少し走ると、島津ゴルフ倶楽部の入口とマッシーミニゴルフ入口へと続く道に分かれている。


 島津ゴルフ倶楽部の方へと右折して500m程の道沿いに、白銀坂入口が見えてきた。車を道端に寄せて止めてから、重富までの下りの工程を歩き始めた。
 坂の入口には「大口筋白銀坂」と書かれた、わりと真新しい石碑が立っている。そこからは不揃いの割石を敷き並べたような石畳が始まり、少し緩やかな下り坂の中央部分を蛇行して下りている。道の右左には杉の木が立ち並び、次第に深い森の中へと続いていた。

続きはHPで・・・⇒ http://sanshin-home.jp/sanshin/sirakanesaka.htm  

Posted by murekaze at 18:34鹿児島の歴史